私の好きな色

今週のお題「わたしの好きな色」


お題に沿って書いてみる。

私の好きな色は白。

受験に勝った色も白。

それから勝負服はいつも白。

白を着るととても落ち着く。


でも日によっては紺も落ち着く。

小さい頃は、箸箱を紺にラメが入ったものを選んだそうだ。母にピンクもあると言われても。

「星空みたいで綺麗だから」

それが私の理由だった。

母はすごく納得してしまって、成長した私に聞かせてくれた。

今ならそんな理由浮かばないな。

今、好きに素直になれているだろうか。

今、自分に正直になれているだろうか。

今、私は誰かの力になれているだろうか。



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「自信がない」「最近ついてない」時こそ読む話

久々の更新。おかえり私のメンタル。自分で自分を褒めて認めて受け入れなきゃ前にも、上にもいけない。

今日は「賢者の書」の感想をレポする。

大ネタバレ注意だ。

 

賢者の書(新装版)

 

賢者の書(新装版)

 
 
どうしても自分を認められなくて、賢くなるためにはどうしたらいいんだろう、と思っていた矢先、こんな本に出会った。
 
主人公はおじさん。ちょっと色々あって、自暴自棄になっているところへ、姿を見せた男の子。彼はおじいさんに言われ、賢者になるための旅をしているそうだ。手に持っているのは賢者の書。ここに旅の記録が記してあると言って男の子は眠ってしまい、おじさんはそれを読んで気づいていく…
 
 
今の悩みにドンピシャだった。
そして前々回くらいに書いたトラブルを思い出した。そうか。そんな単純なことだったのか。捉え方を変えるだけで、こんなに冷静になれるのか。こんなに楽になれるのか。渦中にいる時はわからないけれど。どんどん深みにはまっていく気がしていたけど。
 
行動の結果手に入るのは、成功でも失敗でもなく、今とこれからの自分にしかできないことをするための、自分にしか作れないパズルのピースだった。なんてことはない。「こんな嫌なことが起こる原因は自分だ、」だの、「自分にとっての損得」を考えることの、なんと無意味なことだろう。
大きな夢を描けば描くほど、パズルをたくさん集めなくちゃいけなくて、いま目の前に得られたパズルがひどく虚しく見えてしまうけれど、それは今の自分にしか見えていない狭い視点だ。いや、言い方を変えると、なりたい自分になるためのかけがえのないパズルのピースを手に入れられたんだ。そしてそのための行動を起こせたのは、まぎれもない自分自身だったからだ。
とてもとても地道な作業かもしれないけれど、自分自身で決めて行動に移したことは、なりたい自分に確実に近づけてくれる。行動を起こせば起こすほどパズルのピースは手に入り、なりたい自分に近づいていく。他の行動を起こしていない人より遥かに早く。確実に。
 
あとで自分の人生が、伝記が、ドラマ化されても良いように。映画化されても自分自身が納得できるように。自分にしか持てない視点がある。あなたにしか出来ないことがきっとある。今とんでもなくツイテナクても、倒れそうでも、この先に希望なんて見えなくても、後で伝記になるひとは、どんな行動をするだろう。なりたい自分は、今の自分に、いったいなんと声をかけるだろう。未来が明るい保証なんて無い。そのかわり暗い保証だってない。ピースを手に入れるためには、行動するしかない。
時には孤独になるかもしれない。だがそれももちろん大切なピースであると同時に、自分という存在と実は同じ考えを持った人の力になる。なれる。
すっぱいものばかりで作られた食べ物が美味しくないように。辛いものばかりで作られた食べ物が美味しくないように。排除し、偏ると結果出来上がるものはまずいものでしかない。
誰かにとってのアクは誰かにとっての正義だ。間違えたらそこからまたリスタートを切ればいい。

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いつかのあなたに届きますように。
 
 
 
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自分の核って何だろう。

私は何に向いてるんだろう。

これからどこへ向かえばいいんだろう。

自分がワクワクすることってなんだろう。

美しいものや可愛いものを目にしたとき。

新しいものやこと、ひとにであったとき。

既存概念を打ち破るような考え方にであったとき。

自分が目標に向かってがんばれているとき。

なりたい自分に近づくためにがんばれているとき。

自分の中から溢れる想いを絵や文字で表現するとき。

誰かと感動を分かち合えたとき。

だれかの笑顔に触れたとき。

だれかの想いの核に触れたとき。

だれかの願いの核に触れたとき。

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先日、パッと目に入ってきた本が、今の私にドンピシャだった。小説とかではなく、絵本なんだけれど、忘れてた大切なものを思い出させてくれた。

みえるとか  みえないとか

みえるとか みえないとか


「見えるとか見えないとか」

主人公は地球人。いろんな惑星を旅して、地球での当たり前が当たり前じゃないと学ぶ。とある星では、目は3つあって、後ろが見えるのが当たり前。後ろが見えない地球人の主人公は、その惑星ではマイノリティ。気を使われたり、後ろ指さされたり、からかわれたり。しかし惑星人の中には後ろが見えず、思いを共有できるものもいた。そして出会った、盲目の惑星人。彼は全く見えないが、見えないがゆえの世界を知っていた。


見えないからこそ、見える世界がある。ならば、聞こえないからこそ、聞き取りにくいからこそ、聞き間違いだらけだからこそ、聞こえてくる世界もある。きっと。


当たり前は当たり前ではない。

誰かにとっての常識は誰かにとっての非常識だ。中には本人そっちのけで差別だなんだと騒ぎ立てて自分を正義の味方だと信じて疑わない人たち。その行為が、逆に溝を広げていることも知らずに。

マイノリティにある人や、友人・親族にマイノリティがいれば、変に気を遣われたり、後ろ指さされたり、距離を置かれたり。気づかないように、考えないようにしていても、気づいてしまう。考えてしまう。なんども挫けそうになるけれど、もしかしたらそんな風に考えてしまう自分が、一番自分を貶めてきたのかもしれない。

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読んでくださって、ありがとうございます。

悔しさをバネに。何度でも。

悔しさや悲しさ、そしてそれを踏まえての出会いや発見、喜びが今の自分の原点なんだろうな。

去年の9月ごろの日記⤵︎

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この気持ちを忘れないでおこう。

今日も忘れものした。いつもいつも家を出るのが早くても、忘れ物を何度もするから、取りに帰るから、結局遅刻する。早めだから間に合ってたりするけど、自己肯定感が下がる。今日は諦めた。いつもいつも、自分のキャパシティを超えたことをするから遅刻する。できない。


でも、それが当たり前だった。できないのが当たり前だった。悔しい。悔しくてたまらない。でもそれが私でしかない。予備校時代に散々思い知ったじゃないか。数学ができなかった。小学校のときから計算ができなかった。みんなよりずっとずっとずぅっと時間が必要だった。バカにされて悔しくても、何度も何度も挑戦しても、成長率は変わらなくて、それでも少しずつ少しずつ前進して来た。皆と同じだけやってもみんなと同じだけ成績が上がるわけじゃない。でもそれが当たり前なんだ。だったらみんなと同じ時期に同じ時間やってもダメだ。みんなより早く起きて、みんなより早く準備して、みんなより長く続けるしかない。みんなが1やるなら、私はその倍さらに倍10以上やらなきゃダメだ。悔しいけど仕方ない。だってそれでやっと普通になれるんだもの。それで私が生きやすくなるなら、みんなの何十倍、何百倍努力すればいいんだ。それで外野から自分より頑張ってるのが悔しいと言われようと、頑張れるのが羨ましいと言われようと、そんなにやってたら倒れるでと言われようと知ったことか。そうしなきゃ生きづらいんだよ。いい意味か悪い意味かわかんねえけどお前らとは違うんだよ。できないからやってるんだよ。お前らみたいにできないからやってんだよ。今の世の中じゃやらねえと生きづらいからやってんだよ。お前らはやらなくてもできてるんだから羨ましがる必要も、焦る必要もねえんだよ!!!!!


もしもあの頃の自分がいなかったら。

カフカさんの言葉を読んで思った。

もしも中等度感音性難聴になって補聴器をつけていなかったら。

もしも数学ができなくてやってもやってもできなくて悔しい思いなんてしていなかったら。

もしも受験に現役で合格してしまって挫折を味わっていなかったら。

もしも予備校に行かなくてあの人達に出会えていなかったら。

もしも変わってるって言われて傷ついたことがなかったら。

もしもやればやっただけ成果が出る人間だったら。

もしも片思いのまま終わった恋が無かったら。

もしも友達や家族の死を経験したことがなかったら。

もしも自分自身に嫌気がさして死のうと本気で思ったことがなかったら。




今の自分はいなかっただろうな。

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子どもの頃から、人に迷惑をかけるなという教えが染み付いて、甘えなかったら「もっと自分の気持ちを言え」と言われ、〇〇くん(ちゃん)はよく気がきく。あんたは気が利かないと言われて気を回せるように頑張っていたら、できてないことに文句を言われたり逆になんでそんな子に気を遣わなあかんの!と怒られ、今思うとつくづく振り回されてきたなと思う。

生きていくためには顔色を伺うしかなかったのだけれど。それからなんだかんだ、自分の描く理想の範囲内でなければ私は受け入れてもらえないようなので、結局未だに自分の本当の気持ちがわからなかったりする。特に好き、とか嫌い、とか。

親元を少し離れて、今になってやっぱりこれが好きだとか嫌いだとか、薄々感じてたことが強く感じられるようになった。

そのかわり観察力と他人に寄り添う力などは、褒められる事が多いから、それはそれで良かったのかな。

まぁ、好き嫌いは元々少なかったのかもしれないしな。それはそれだ。

大切なことは、今この瞬間に向き合うこと。そして自分自身にも、寄り添えるようにならなきゃな。

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あー、書きたいことは山ほどある。本のこと、音楽のこと、スポーツのこと、恋愛のこと、友達のこと、今学んでいるテーマのこと…テニスがしたい🎾

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それはまたいつか。
ここまで読んでくださってありがとうございます、

ハルジオンとヒメジョオンの違い

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春から夏にかけてよく見るこんな花。

今日は備忘録的に書き記す。何度も何度も忘れては調べるのに飽きたから。


【ハルジオン】

●花びらが糸のよう

・蕾が下を向いている(うなだれている)

・開花時に根出葉(ロゼット葉)が残っている

●茎を折った時に中身が空洞

●開花時期は4月〜7月(春頃)

●ハルジオンは茎を抱くように葉をつける

・ハルジオンは根っこで増える

ヒメジョオンと比べると毛深い


ヒメジョオン

●花びらは糸じゃない

・蕾は上を向いている

・開花時に根出葉(ロゼット葉)が枯れて残っていない

●茎を折った時に中身が白い(随がある)

●開花時期は6月〜10月(夏頃)

ヒメジョオンは葉をまっすぐにつける

ヒメジョオンは種子で増える

●ハルジオンと比べると毛が少ない


●…見分ける重要ポイント


昨日、今日と下を向いて歩いていたら花をたくさん見つけた。

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上を向いて歩くのもいいが、たまには下を向いて歩くのも悪くない。(前を向け。)


ところで先日、とある会議というかミーティングに出席したのだが、久しぶりにクリエイティブでみんなの目が生き生きしていて、面白いミーティングだった。

それまでは、前年度の踏襲であったり、決められたものに沿って予めほぼ決められたような答えを出すために、あとは微調整するためにとりあえず人数を集めてやっていたようなもので、当時はそのことに対して、なんの違和感も抱いていなかった。

ただただ、いつものように話を聞いて、いつものように話す人が話して、それをただただ聞くだけでお金が出るのだから、楽なもんだと、そんな程度の認識でしかいなかった。今思えば惰性だ。最低だ。あらゆる方面に対して、失礼きわまりなかった。


しかし、少し前に事件が起きた。発端はちょっとしたいざこざだったのだが、それを皮切りにこれまでの体制に限界まで不満を溜めていたメンバーの不満があれよあれよと噴出し、一時は半壊滅状態にまでなった。不満をぶつけられた側の中には、しばらく姿や意見を見せられなくなったものもいた。


しかし、あらゆる人物の影の努力により、なんとか持ち堪え、最近すこし盛り返してきたかな、と感じていた矢先の出来事だった。

正直感服した。そしてやはり自分たちの選んだ人物で、間違いはなかったのだと確信した。ちなみに姿や意見を見せられなくなったものも今は復活してきている。


よくなる組織には、ほとんどと言っていいほど、混乱期が訪れるようだ。だがそれと同時に、この時期を経験した組織は強い。とも言っていた。とある教育に関わる人物である。


それまでの私であれば、衝突は避けた。良くも悪くも大人で、冷たかったのかもしれない。余計な労力を対人関係の(しかも一度壊せばどれくらい修復にかかるかわからないような)いざこざに割くくらいなら、日々の楽しい出来事や自分自身や自分の大切な人のために使った方がよっぽどいいと、そう思っていた。

しかし対人関係の衝突を避ければ避けるほど、次にあった人物や組織と、衝突しなければならないような展開に追い込まれた。

これは空から見ている何処かの誰かからの試練であり、メッセージだったのかもしれない。もう、いい加減いい大人だが、だからこそ、建設的な「喧嘩」ができるはずだ。自分も相手も一旦は受け止めつつ、思いのありのままを伝えられるような…。


だからこれからは、相手と冷静に「喧嘩」ができるように、誰かの気持ちを安堵させられるように、思いを的確に伝える術を身につけて行きたい。それのヒントになりそうな本を今読んでいる。感想は後日書く予定だ。


以下忘れないための備忘録ーーーーー

逃げないで。くじけないで。もう私は、あの頃みたいなやられっぱなしの私じゃない。


あの頃みたいな、超えられない壁に屈したり、下手に勘ぐって相手の望むことを先読みして自分を押し殺して動いたり、そんな自分にうじうじ不安になるような私じゃない。

大切なことは、これからどう動くかだ。

好きなことを続けるということ。

昨日、今日はすごく良い天気で、先日の憂鬱さえも吹き飛ばしてくれる空模様だった。f:id:rocherkana:20190511231107j:plain

だが光が強いとその分、見たくないものもはっきりと見えてしまう。

影は濃くなり、曇りの日や雨の日には見えなかったものが見えたりもする。

それは、恋人、友人、親子、兄弟、師弟…などなど、人間関係にも似ている。


曖昧だった時には見えなかったこと。真実。普段から目を見開いて、注意していたつもりでも、見落としていたシワや影。

ある日突然、光に照らされて、思いもよらなかった綻びが見えてしまうこともある。


そんな時でも自分は自分でいられるか。

いつ照らされても目を逸らされずに、逸らさせずに済むような関係を作れているか。生き方ができているだろうか。


どれだけ明るい光に照らされていても、見る方向が違えば見るものが違う。角度が違えば見え方が違う。それはどちらの方が正しいというものではなく、どちらにとっても真実なのだろう。


とある尊敬するアーティストの記事を読んでいて、「好きなことを続けるのも大変」だと学んだ。たとえそれが好きなことでも、続けることにはそれなりの苦痛を伴う覚悟が必要で、周りから何を言われようと、その「好き」を貫き通した先で何が起こっても、自己責任である。


だからこそ、今、「好き」に真っ直ぐである人を尊敬する。それにそれは「好き」を選び続けているということでもあり、そんな風に継続して「好き」を選び続けていることにも素直に凄い、と思える。


そもそも「続ける」それ自体が難しい。まさか小学生の頃担任から言われた言葉が今になって響いてくるなんて。


きっとこれから大人になっていく中で、「好き」より優先しなければならないこともでてくるし、新たな「好き」がそれまでの自分の「好きな」だと思っていたものをはるかに凌駕することだってあるだろう。そんな時でも、私は「好き」を通せるか。


先ほどは人による見え方や見る方向の違いを述べたが、時間が変われば自分自身の見方や見る方向だって変わっていく。ベートーベンは耳が聞こえなくなった。私もいつか何か起こるかもしれない。そうなっても残る「好きなこと」。それで誰かの背中を押せたら最高だろう。模索は続く。